事件番号 :平成13年(レ)第55号
事件名 :小切手債務不存在確認等請求控訴
裁判年月日 :H14. 5.24
裁判所名 :神戸地方裁判所
原審 :西宮簡易裁判所 平成13年(ハ)第209号
事件の概要
土佐犬の売買契約の民法第95条錯誤無効(動機の錯誤)によるその代金の支払いについての小切手債務の不存在の確認及び、民法第709条不法行為に基づき前記小切手債務の原因関係たる売買契約の契約締結上の過失による損害の賠償及び、同契約目的物たる土佐犬全国第20代横綱闘犬についての事務管理に基づく有益費用の償還を求めた事案。
原審を不服として被告が控訴していたもの。
判決主文
1 控訴人の被控訴人A会社に対する控訴を棄却する。
2 原判決中,被控訴人Bに関する部分(原判決主文第2項)を次のとおり変更する。
(1) 控訴人は,被控訴人Bに対し,金16万4847円及びこれに対する平成13年5月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 被控訴人Bのその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は,第1,2審とも控訴人の負担とする。
4 この判決の第2項の(1)は仮に執行することができる。
判決理由(判決文抜粋)
@錯誤無効と小切手債務の不存在につき
本件売買契約締結時,嵐号がフィラリア症に罹患しており,激しい運動ができる状態ではなかったにもかかわらず,被控訴人Bは,嵐号が全国横綱としての実績を有し,即時試合出場可能な闘犬であるものと誤信してこれを購入したことが認められるから,被控訴人Bの売買の法律行為に錯誤があったと認めることができる。
もっとも,これは動機の錯誤に当たるから,錯誤による無効が認められるためには,相手方(控訴人)への動機の表示が必要であるところ,上記認定の控訴人と被控訴人Bの間の交渉経緯に照らせば,被控訴人Bは控訴人に対し,即戦力のある闘犬として嵐号を購入する旨売買の動機を表示していたものと認めることができる。
また,被控訴人Bが即戦力で闘犬の試合に即時出場可能である闘犬であると信じたからこそ嵐号を購入したものであることも上記認定したところから明らかであり,上記動機は,本件売買契約の重要な部分であったと認められるから,その錯誤は法律行為の要素の錯誤にあたるということができる。
以上の次第で,本件売買契約は要素の錯誤により無効であると認められる。
そうすると,被控訴人A会社は,その原因関係である本件売買契約が上記のとおり無効であることから,控訴人に対し,本件小切手金を支払う義務はないものと認められる。
したがって,被控訴人A会社の控訴人に対する本件小切手債務不存在確認請求は理由があるから,これを認容した原判決は相当である。
A売買契約の契約締結上の過失による損害の賠償につき
控訴人は,土佐犬を闘犬として飼育・訓練し,それを販売することを業としていたものと認められる。そうすると,控訴人には,犬の健康管理を行うとともに,犬を売買するに際しては,その犬が健康であるかどうかを確認の上で販売すべき信義則上の義務があると解すべきである。
ところが,証拠(控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば,控訴人は,飼い犬を定期的に獣医に診せることもせず,フィラリア症の予防注射もまったくしないまま飼育し,フィラリア症に罹患したかどうかについては,餌の食べ具合や,闘犬の大会における戦いぶりなどから判断していたに過ぎないこと,その結果,本件売買契約当時,嵐号がフィラリア症に罹患していたにもかかわらずこれを見過ごし,被控訴人Bに売却したこと,その結果,上記1で認定のとおり,本件売買契約は錯誤による無効な契約であったことが認められる。
そうすると,控訴人には,売り主としての上記義務を尽くさなかった過失が認められ,これは契約締結上の過失にあたるから,民法709条により,被控訴人Bが契約締結に関して支出した費用を賠償する責任があるというべきである。
B事務管理に基づく有益費用の償還につき
本件売買契約は錯誤により無効と認められるから,嵐号は本件売買契約後も控訴人の所有に属し,その結果,被控訴人Bは,控訴人のために,事務管理として,控訴人所有の嵐号に上記治療を受けさせたと認めることができる。
<管理人補足>
(1)錯誤無効について
民法総則の錯誤無効は、宅地建物取引主任者といった、一般に人気のある資格試験の勉強においても必ず出てくる、極めてポピュラーな条文と言っていいかと思います。
それも民法を学習する際は非常に早い段階で出てくるため、現在は既に学習から離れている方にとっても、長く心に残っているものかと思います。
民法第95条は
「意思表示ハ法律行為ノ要素ニ錯誤アリタルトキハ無効トス 但表意者ニ重大ナル過失アリタルトキハ表意者自ラ其無効ヲ主張スルコトヲ得ス」
と定めております。
「錯誤」・・・簡単に言えば、つまりは、いわゆる勘違いのことです。
意思表示をした内容と、その表意者の内心との間に食い違いがある場合の事で、法律の教科書などでは、「表示上の効果意思と表意者の意図するところに食い違いがあり、表意者自身がそれを知らずに意思表示をしたこと」などと、何かややこしい言い回しで説明されたりしております。
この錯誤ある意思表示については、そのすべてについて責任を負わせてしまうのは表意者に気の毒なため、一定の要件で「無効」としての主張が出来る旨を定めたのがこの条文です。
ただ、この錯誤というものは、日常生活においては極めて頻繁にあるものであり、これについて一々無効としていたら取引をした相手方はたまったものではありません。
このため「法律行為ノ要素ニ錯誤アリタルトキ」で、しかも「重大ナル過失」がない場合にその主張が出来るものとして、表意者の保護と取引の安全の調和を図っているわけです。
私自身、資格試験の勉強で「要素の錯誤・重過失なし」などと覚えたことを思い出します。
この法律行為の要素の錯誤については、一般的に「表意者が意思表示の主要な部分とし、その点について錯誤がなければ、表意者本人のみならず普通人も意思表示をしなかったと思われる程度」といわれております。
なお、但し書き部分の「重大な過失」とは、表意者の職業、行為の種類・目的等に応じて普通にするであろう注意を著しく欠くこととされております。
また、この重過失に関しては、相手方が悪意の場合や、相手方の詐欺によって錯誤に陥った場合には、この要件は適用されないものとされています。
また、この錯誤における無効は、表意者保護の観点から当事者及びその承継人のみが主張できるとされており、相手方及び第三者はその主張はできません。
本来無効というところの意味は、「効力がない」訳ですから何人でもその無効を主張できるものであるはずですが、本条項の立法趣旨からそれが制限されている訳です。
なお、この場合でも「債権保全の必要性」があり「表示者自身が要素の錯誤を認めている場合」に、表意者が無効を主張する意思がなくても第三者が無効を主張できるとした、試験に良く出る有名な判例も存在しております。
この錯誤については、その態様として、@表示上の錯誤、A内容の錯誤、B動機の錯誤の三つが考えられるとされており、本件はこのうちの「動機の錯誤」が問題となっております。
本件の場合は、「土佐犬を購入する」との意思については、内心と表示上について何ら相違があるわけではなく、本来はこの場合錯誤とはならないはずです。
つまり、この場合は土佐犬を購入するという動機となった部分について錯誤があったと言えるのです。
このような動機の錯誤においては、その動機が表示され相手方がそれを知っているときに錯誤の主張が認められるとされており、本件もその考え方を示しております。
(2)契約締結上の過失について
契約締結上の過失とは、過失によって無効な契約を締結した者は、相手方がその契約を有効なものと誤信したことによって被る損害を賠償する責任があるとする考え方です。
本件においては売買契約が錯誤により無効となったわけですが、これは被告(控訴人)による売買時の信義則上の過失によるものと認定され、このため原告(被控訴人)が売買契約締結時に支出した費用について、その賠償責任を認定したものです。
(3)事務管理について
事務管理については民法第697条乃至第702条に定められておりますが、あまり知られてはいない規定かと思います。
しかしながら格別意識はしていなくとも、この条項に定める内容については、日常生活において当てはまるところは案外多いものではあります。
ただ、一般的には法律の規定にのっとって、杓子定規に有益費を請求するなどということは、決して多くはありません。
ケースにもよりますが、「お礼の言葉だけ」とか、「お礼の菓子折りを受け取る」とか、そんな程度で済ませるようなことが多いかと思いますね。
民法第697条には
「義務ナクシテ他人ノ為メニ事務ノ管理ヲ始メタル者ハ其事務ノ性質ニ従ヒ最モ本人ノ利益ニ適スヘキ方法ニ依リテ其管理ヲ為スコトヲ要ス」
と定められています。
本件においては、錯誤により契約が無効となったことにより、契約の目的物であった土佐犬の所有権は当初から被告(控訴人)にあることになりますから、所有者でない原告(被控訴人)は、本来この犬の面倒を見る義務はありません。
つまり、「義務ナクシテ他人ノ為メニ事務ノ管理ヲ始メタ」といえる訳です。
また、民法第702条には
「管理者カ本人ノ為メニ有益ナル費用ヲ出タシタルトキハ本人ニ対シテ其償還ヲ請求スルコトヲ得」
と定められています。
本件においては、管理者である原告(被控訴人)が有益費である治療費を支出しているため、この費用についてその償還を認めたものです。
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