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◆<奄美自然の権利訴訟(アマミノクロウサギ訴訟)>
H13.01.22 鹿児島地方裁判所 平成7年(行ウ)第1号 行政処分無効確認及び取消請求事件
<事件の概要>
奄美大島に生息する希少動物種を原告として、住用村ゴルフ場開発及び龍郷町ゴルフ場開発に伴う、森林法一〇条の二に基づく林地開発行為の許可処分の取消し及び無効確認を求めた事案。
原告名が冠された動物
1.アマミノクロウサギ
2.オオトラツグミ
3.ルリカケス
4.アマミヤマシギ
<判決文抜粋>
第四 終わりに
本件は、わが国で初めてアマミノクロウサギ等の野生動物を原告として提起された訴訟として注目され、一般 には「アマミノクロウサギ訴訟」と呼ばれている。
住用村ゴルフ場予定地を含む市崎地区は古くからアマミノクロウサギが多く生息する地域のひとつとして知られていたが、平成四年三月三一日にI産業に対する本件処分がなされ、ゴルフ場開発によるアマミノクロウサギの生息地への悪影響を懸念した原告Nは、開発予定地及びその周辺地域で観察活動を行い、アマミノクロウサギの糞などの生息痕を発見した。
これが新聞報道されて住用村教育委員会等が住用村ゴルフ場予定地を再調査したところ、同様にクロウサギの糞が確認され、その後の事業者によるゴルフ場予定地内でのアマミノクロウサギの生息分布実態調査においても糞、体毛等の生息痕が確認された(甲九八、九九、一〇〇、一〇四、一一二、証人Sの証言、原告N)。
I産業に対する本件処分の審査のための被告による現地調査の際には糞も巣穴も見つからなかったと報道されている(甲一〇〇)。
なお、平成一一年四月三〇日に当裁判所が行った検証においては、別紙図面2のとおり、開発予定地から約一ないし二キロ離れたX地点及びY地点付近並びにZ地点付近においてアマミノクロウサギの糞を確認した。
I産業に対する本件処分がなされた平成四年(一九九二年)は、日本列島ではゴルフ場開発をはじめとする「リゾート開発」が各地で行われていたが、他方、環境と開発に関する国連会議(地球サミット)においては、「リオ宣言」(甲一〇〇三)、「アジェンダニ一」、「森林原則声明」といった森林における生物多様性の保護に関する重要な国連決議がなされ、生物の多様性に関する条約(甲一〇〇六)が締結され、翌平成五年にはわが国においてもこれが発効し、また環境基本法が施行されるなど、生態系保全、希少動植物等の生物多様性の保護や地球環境の保全に関する法体系整備の出発点となった時期でもあった。
その後、自然環境の保全に関する国際・国内関連法規等の整備や地球規模における環境基準指標の樹立の試み(例えば、平成七年二月の「サンティアゴ宣言」(甲三五の1・2)など)も進み、森林法一〇条の二第二項三号所定の「環境の保全」は、生態系、生物多様性の保護を含んだ豊かな法益として理解されるようになり、またアマミノクロウサギ等希少野生動物の生息地の保護の重要性に関する法的評価もより高まっているものと解される。
このような自然保護に対する法的評価の高まりについては、原告ら、あるいはその他の自然保護団体による自然環境活動・自然保護活動等に負う部分も大きいものと解され、その意味においては、原告らが、アマミノクロウサギをはじめとする奄美の自然を代弁することを目指してきたことの意義が認められると言ってよい。
ところで、わが国の法制度は、権利や義務の主体を個人(自然人)と法人に限っており、原告らの主張する動植物ないし森林等の自然そのものは、それが如何に我々人類にとつて希少価値を有する貴重な存在であっても、それ自体、権利の客体となることはあつても権利の主体となることはないとするのが、これまでのわが国法体系の当然の大前提であつた(例えば、野生の動物は、民法二三九条の「無主の動産」に当たるとされ、所有の客体と解されている。注釈民法何二七一頁参照)。
したがって、現行の行政訴訟における争訟適格としての「原告適格」を、個人(自然人)又は法人に、限るとするのは現行行政法の当然の帰結と言わなければならない。
もっとも、現行法上でも、自然保護の枠組みとして、いわゆるナショナル・トラスト活動を行う自然環境保全法人(優れた自然環境の保全業務を行うことを目的とする企益法人)の存在が認められており、このような法人化されたものでなくとも、自然環境の保護を目的とするいわゆる「権利能力なき社団」、あるいは自然環境の保護に重大な関心を有する個人(自然人)が自然そのものの代弁者として、現行法の枠組み内において「原告適格」を認め得ないかが、まさに本件の最大の争点となり、当裁判所は、既に検討したとおり、「原告適格」に関するこれまでの立法や判例等の考え方に従い、原告らに原告適格を認めることはできないとの結論に達した。
しかしながら、個別 の動産、不動産に対する近代所有権が、それらの総体としての自然そのものまでを支配し得るといえるのかどうか、あるいは、自然が人間のために存在するとの考え方をこのまま押し進めてよいのかどうかについては、深刻な環境破壊が進行している現今において、国民の英知を集めて改めて検討すべき重要な課題というべきである。
原告らの提起した「自然の権利」(人間もその一部である「自然」の内在的価値は実定法上承認されている。
それゆえ、自然は、自身の固有の価値を侵害する人間の行動に対し、その法的監査を請求する資格がある。
これを実効あらしめるため、自然の保護に対し真摯であり、自然をよく知り、自然に対し幅広く深い感性を有する環境NGO等の自然保護団体や個人が、自然の名において防衛権を代位行使し得る。)という観念は、人(自然人)及び法人の個人的利益の救済を念頭に置いた従来の現行法の枠組みのままで今後もよいのかどうかという極めて困難で、かつ、避けては通れない問題を我々に提起したということができる。
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<管理人補足>
判決においては、原告の適格性、訴えの利益という点がまず判断されるため、現行法上は決して勝訴とはなりえない事案ではあると思います。
しかしながら、多数の国民の関心の高まりを呼び起こした点、また当該開発行為は中止されることとなった点、さらには判決文の中で裁判官がこの訴訟の意義に言及した点など、自然保護運動におけるこの訴訟の果たした役割は非常に大きいといえます。
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